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祈りと占い

祈りはウイッカンなら誰でも使えるツールです。完全に行き詰まってしまったときや本の中に情報が見つからないとき、あるいは見つかっても混乱するばかりのとき、心から助けを必要とするときには、助けを求めましょう。

このたぐいの祈りには、長い儀式は必要ありません(とくに、これだという儀式の形式がまだ決まっていない場合は)。ただキャンドルをともしたり、森や公園の中を歩いたりしながら、祈ればいいのです。ネコをなでたり、炎をみつめたり、立ってシャワーを浴びたり、バスタブに体を沈めたりしながら、祈ってもかまません。

また、タロットカード、ペンドラム(振り子)、ルーン文字が刻まれた石といった、おなじみの占いのツールを使うのもいいですが、こうしたツールは、祈りの前でなく、あとに使いましょう
(魔女の教科書 ソロのウイッカン編)


カニンガムは祈りを”完全に行き詰まってしまったときや本の中に情報が見つからないとき、あるいは見つかっても混乱するばかりのとき、心から助けを必要とするとき”に使いましょう、と書いていますが、女神や男神に感謝を捧げたり、あるいは毎日のルーチーンとして祈りを捧げるだけでも良いと思います。
勿論「助けを求める」為の祈りを否定する訳ではありません。
ですけれど、毎日祈る、祈っているのだ、という意識を持つことが大事だ、と私は思っています。

”ネコをなでたり、炎をみつめたり、立ってシャワーを浴びたり、バスタブに体を沈めたり”する「行為そのもの」が祈りなのではなく「これは私にとっての祈りだ」という「意識」を持つことが重要です。

「意識」を持って風呂に入らなければ、体が綺麗になるだけだ、とはダイアン・フォーチュンの言葉ではありますが、本当にそのとおりだと思います。
ネコを撫でれば祈りになるのではなく祈りだと思ってネコを撫でることが大事なのです。

これは祈祷文についても同じことが言えると思います。
魔女の本には沢山の祈祷文が掲載されていますけれど「読む」のではなく「祈り」なのだと意識をして目をとおすことが大事なのだ、と思います。

そしてもうひとつ大事なこと。
占いは祈りの後に行いましょう、とカニンガムは書いていますが、個人的には「占いは祈りではない」と思っています。

魔女修行をする者にとって大切なのは毎日祈ることですけれど、占いは毎日やらなくても良いと私は思っています。
占いをする者にとって大切なのは、毎日占うことであり、祈りはやってもやらなくても良いのです。

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